in-a-youの日記

早稲田大学生の日記

親知らずを抜いたら意識が飛ぶほど痛かった話

僕は大学3年生(2019年)の1月に、親知らずを抜きました。この記事を書く5日前に抜きました。右下と左下と両方出てきていたのですが、とりあえず、右下の親知らずを抜きました。

 

大学の近くの歯医者さんで抜いてもらおうと思ったのですが、生え方が複雑で「うちでは抜けないあ~」と言われてしまい、大学病院を紹介されて行きました。

 

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大学病院へ向かう

 

いやー、大学病院って初めてきましたけど、めちゃくちゃ広いですね~ 大型ショッピングセンターくらいありますね。冗談抜きで。ららぽーとくらいあるんじゃないかな。

 

まあ、いろいろ受付など済ませていざ、抜歯。

中は意外と普通でしたね。普通の歯医者さんにあるような一人掛けのリクライニングシートが10個くらい並んでました。

 

シートに座って処置の説明を聞くわけですが、「歯茎切って、あごの骨削って、親知らず抜きますよー」(え!骨削るの?笑 ま、いっか)

 

ということで、いざ手術が始まりました。麻酔を打たれ、機械のウィ~~ンという音が聞こえてきました。全身麻酔ではなく、歯茎に打つだけなので意識ははっきりしています。だから余計に怖い。

 

結構痛かったです。なにより、骨をゴリゴリ削る音と歯を抜く時のバキッという音がまあ気持ち悪かったですね。

 

あれ?意識が飛ぶほど痛かったんじゃないの?と思いました?

 

その通り。

 

意識が飛ぶほど痛い思いをしたのですが、それはこの後だったんです。

先に言ってしまうと、止血の処置が意識が飛びそうになるほど痛かったんです。

よく、親知らずって抜くと痛いとか、すごく腫れるとか聞くと思うんですけど、僕はこの時はなーんだこんなもんか、と思っていました。

 

痛みよりも気になったのは出血の方です。なんか口の中に唾いっぱいあるなーと思って洗面所に吐き出してみたら真っ赤な血が、、、

まあでも抜歯後は血がでると聞いていたのでそこまで焦りはしませんでした。しかし、いかんせんすぐに口が血でいっぱいになるのでどこかに吐き出したりしながら家まで帰りました。

 

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出血はだいたい一日で収まると言われていたのですが、翌日になっても出血しっぱなしでした。

 

起きた直後、洗面台に唾を吐いてみると、日本酒のおちょこ一杯分くらいの黒い液体と黒い塊が出てきました。血です。もはや、赤を通り越して黒くなってました。塊は血が固まってできたものの様です。

 

とりあえず、病院でもらったガーゼ噛んで止血してみましたが、そんなものでとまるほどの量じゃありません。すぐに、ガーゼが赤く染まり、ガーゼをちょっと噛むと、スポンジのように血がじわーとあふれ出るくらいの勢いです。さすがに、これはやばいんじゃないかと思って、夜に再び、病院に行きました。昼間は授業があったので夜に行きました。授業中は三回くらい血を吐き出しに洗面所に行きましたが、それ以外はずっと血を飲みこみ続けていました。血を飲んでいたからか、出血が止まらなかったからか分かりませんが段々体調が悪くなり、ボーとしてきました。

 

で、血が溜まったら吐き出すっていうのをなんども繰り返しながら大学病院に行って止血処置をしてもらうことになりました。

 

はい、この止血が尋常じゃなく痛かったです。

 

最初の手術でやったように歯茎に麻酔を打ちます。この時点で猛烈に痛いです。なぜかというと、そもそも昨日手術をして大きく腫れあがった歯茎だからです。だから当然、最初の手術の10倍くらい痛いです。そりゃそうですよね笑。殴られてできた、まだ腫れているタンコブを次の日にまた殴られるようなもんです。1回目よりも2回目の方が痛いです。

 

とりあえず、止血するんですが、一回縫った歯茎の糸を外して止血してまた縫わないといけません。これらの工程を行うにあたって右奥歯を一生懸命器具を使ってガチャガチャやるんですけど、何をしても痛すぎる!左手挙げて施術を止めては麻酔を打つってのを5回くらいやりました。

 

で、ようやく糸を抜き終わってガーゼを親知らずを抜いてできた穴ぼこに詰めていくわけです。(ここが出血元です)

 

10㎝くらいのガーゼを小さな穴にグリグリと詰めてくれました。はい、脳天しびれて意識飛ぶかと思いました。これが人生一番痛かったです。プロの力で何度も何度も押し込まれる度に手足がしびれました。冗談じゃなく痛みで勝手に涙がこぼれました。

 

二度とこの止血はやりたくないと思いました。

 

 

 

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早稲田大学 政治経済学部 日本経済思想史 12/7(金)

明治維新とその前とでは、政治制度は変わるが、人の頭の中はそんなに変わらない。


由利公正

越前国福井藩 家臣の家に誕生 1829

②福井を訪れた横井小楠に師事

③藩主松平慶永に抜擢  殖産興業政策に参画

④明治政府出仕 1868-69

東京府知事1871

⓺米欧に渡航 1872-73

貴族院議員 1890

⑧死去 1909


由利財政

①藩財政再建の経験

②借金

政府紙幣

④積極財政主義

⑤生産奨励・産業振興政策

⓺政府の民間経済への介入の当然視≠自由放任


大隈重信 1838-1922

肥前国佐賀藩士の家に生まれる

蘭学・英学修行

③新政府出仕 1868

④参議 1870

⑤参議兼大蔵卿 1873-80

⓺国会開設意見書提出1881

明治14年の政変で下野1881

立憲改進党結党1882

⑨東京専門学校創設1882

外務大臣

⑪第一次大隈内閣1898

早稲田大学初代総長1907

⑬日本初の始球式1908  空振りしてストライクにする文化が生まれた?

⑭第二次大隈内閣1914-16

⑮死去1922 日本で初めて霊柩車使用

国民葬


第一次大隈財政1869-71

①新貨構想:正貨主義

国際金本位制の形成過程

②新貨条例公布1871

金本位制

⑵金1.5g=1円=1両=💲1


井上馨 1836-1915

長州藩士の家に生まれる1836

②新政府出仕1867

③大蔵大輔1871-73

④参議兼工部卿1878

⑤大隈と対立1881

⓺死去


井上財政1871-73

金本位制採用(新貨条例)1871

②本位金貨、兌換紙幣発行1872

③紙幣整理、歳出抑制

④正貨主義+健全財政主義


ただ、講義スライドをメモするだけだとつまらないってのと、わざわざ授業に出て、理解不十分なまま豚のようにせわしなくメモを取るのがバカらしくなったので方針転換。


心に残ったところだけメモします。



大久保利通

内治優先

対外的な緊張を、うむことは避けるべき

国内の充実を図るのが先

大久保は政権の中心。大隈がNo.2


殖産興業政策1873-81

政府資金による直接起業

第二次大隈財政では、政府はケチケチしない。金本位制やめちゃおうか!

私立銀行認可、いまでゆう普通の銀行

民間の資金が移動しやすくする

=金融疎通

紙幣主義+積極財政


大久保の経済政策

国の強弱は人民の貧富による

人民の貧富は物産の多寡による

政府政官の誘導奨励が最重要


第二次大隈財政

大隈の考え方、、国内生産停滞してる。貿易収支赤字、正貨流出

この原因は、インフラ未整備と、金融閉塞


政策:金融緩和



殖産興業の終焉

西南戦争によるインフレ

財政の不健全化

貨幣の不安定化

明治14年の政変 1881


松方正義1835–1924

貨幣制度未確立→投資不足→生産停滞→貿易不均衡→正貨不足→正貨に対する紙幣価値下落

一方、大隈の考え方は、貿易収支赤字によつて、金貨が減少し、金の価値観があがってい

ルト、認識


松方財政1881-92

財政緊縮→財政余剰→紙幣整理→総需要抑制→物価下落→輸出促進→国際収支改善→正貨蓄積→日本銀行創設1882→銀兌換制度確立1885


正貨主義、健全財政主義

井上馨。、松方正義


紙幣主義、積極財政主義

由利公正大久保利通大隈重信




早稲田大学 政治経済学部 日本経済思想史 12/6

高田早苗

⑤読売新聞主筆 1887-90

衆議院議員 1890-97、 1902-03

早稲田大学初代学長 1907-15

貴族院議員 1915-38

 

思想の機能性への着眼

①思想の二側面

(1)それ自体の内容

(2)その社会的機能

②なにがししかの宗教的性向

③信仰対象の不可知性

キリスト教の機能的理解

⑤原理に対する機能の優位 古学派的思考

 

機能重視の学問観

①学問の機能・有用性の重視

国益に資する西洋学術

③西洋技術の一方的受容

④書生=愛国者の実業への従事

⑤原理的思考の脆弱性

 

18世紀までの教育

①教育の超歴史性

世代間の情報伝達

②実地教育

(1)家族・職域など

(2)学校(教場・教師)は例外

 

19世紀は教育爆発

寺子屋が急激に発生

①学校の誕生 江戸時代後期国内的・国際的情報の質的・量的増大

②新情報取得者の登場

③家格登用原則との折衷的登用(科挙の不在)

近代的学校制度の構想

①国民の知的水準の全面的底上げ

最重要の初等教育

②広範な非学歴的領域の存在

③学歴(≠先天的身分)と職位・職務の対応的関係構築

④立身出世型の中・高等教育

ex.帝国大学、専門学校、早慶 cf.お嬢様学校

 

初期明治政府の経済政策担当者

由利公正大隈重信井上馨大久保利通松方正義

 

脱市場

熊沢蕃山、荻生徂徠徳川吉宗松平定信政権

 

市場経済対応

荻原重秀、大岡忠相、太宰春台、田沼意次、海保青陵、横井小楠、諸大名家勘定方役人

早稲田大学 政治経済学部 日本経済思想史 11/23㈮

すみません、途中からです。。

 

 

自由放任主義

①個人の高度な道徳的資質

②市場による社会統合

③市場における個人の富裕と公共の利益の同時実現

④国家権力の最小化

 

イギリス古典派経済学

①思想的基盤

(1)個人主義  (2)自由主義

②市場主義

(1)市場に内在する自然的理法

(2)市場の予定調和

③政策基調

自由競争・自由放任・小さな政府・自由貿易主義

④先発国(英国)のイデオロギー

 

天保(1830-44)世代の明治維新

大久保利通 1830-1878

福沢諭吉       1834-1901

松方正義        1835-1924

大隈重信        1838-1922

渋沢栄一        1840-1931

伊藤博文        1841-1909

 

西洋経済学受容の歴史的前提

①「文明」への柔軟性 古代~

市場経済システムの成立      江戸時代

③合理的思惟の成立

④経験的思惟の成立

⑤西洋中心的世界像の成立 18C後期

蘭学・洋学の普及    19©中期

⑦経済学の制度化     19c後期

 

西洋経済学の選択的受容

①イギリス古典派経済学の輸入

    幕末~明治初期

②ドイツ歴史学派への転換

    明治中期~

③在来経済思想の底流化

日本の思想の基本は先進国のパクリ

 

啓蒙(Enlightenment)思想17-18c

①人間の理性的思考の普遍性

②理性による自然の理法の確認

③権威・特権・偏見の除去

④理性の自立

 

明治啓蒙

①江戸時代的既成観念の打破(儒教国学)など

個人主義功利主義的な人間観・社会観・国家観などの普及

 

福沢諭吉(明治)の課題

①国家の独立:植民地の危機

②列強に対峙しうる国家の建設

③担い手としての「国民」の創出(身分から離れた人間の再定義)

④高等教育の実践

早稲田大学 政治経済学部 現代アジア経済史 11/21 ㈬

中国が社会主義化を急いだ背景

 

アメリカをにらんだ国防強化のため、国防強化に直接つながる重工業の発展を優先させるため。

 

重工業発展を早急に行うためには、①できるかぎり、多くの資本を国家が占有する必要

②占有した資本を重工業部門に集中的に投下する必要

市場経済→計画経済

 

計画経済体制の整備

第1期5か年計画(1953~57年) 重工業部門に重点

 

劉少奇  重工業にばかり偏りすぎでは?

軽工業、農業バランスのとれた発展が重要なのでは?

 

農業合作化

毛沢東 農業合作の深度を高めれば農業生産は増加するだろう

劉少奇周恩来 社会主義化が早すぎる、国防そこまで急がなくて良くない?

毛沢東     社会主義化が遅すぎる、社会主義化を遅らせる選択肢はない

 

結果、毛沢東の指導の下、中国はさらなる急進化

 

なぜ?

 

 百花斉放・百家争鳴運動

フルシチョフスターリンを個人独裁として批判

中国全土で不満や批判の表出を含め自由で活発な議論を奨励(百花斉放・百家争鳴)

知識人たちの反体制・反社会主義批判

 

スターリン批判は東欧諸国にも大きな衝撃

ポーランドハンガリーで反体制でも発生

国内でも労働争議などが起き、中国でもハンガリー動乱が起きるのではないかと、不安視

→徹底的な言論弾圧

 

反右派闘争 約55万人が厳しい批判の対象になる。

 

中国共産党第8回全国代表大会第2回会議を開催

第2回が行われることは稀

第1回をやり直し

急進的な社会主義政策、「大躍進」運動の開始

鉄鋼生産量、食糧生産量の目標を上方修正

地方のリーダーたちは社会主義に賛成していることを示すために目標値をさらに上方修正

 

大躍進の開始は農業から

アメリカを農業生産量で追い抜くことは共産主義への大きな一歩と認識

上方修正された目標値をみて指導部は農業部門においては「共産主義」への過渡期が近づいていると認識

人民公社=中国農村を共産主義へと過渡させるもの

公共食堂の設置

 

工業大躍進

誇張された農業生産予測を信じた中央指導部は「農業と食糧の問題はすでに基本的に解決した」と認識。

北戴河会議の指示を受けて各地で大々的な大製鉄・鉄鋼運動が展開

 

廬山会議

農業生産の増大+都市労働人口の増大=食糧徴発量の増大

59年春には人々の生活用品の供給が危機的状況に

彭徳懐(国防部部長)が大躍進を批判

毛沢東彭徳懐と彼に賛同する幹部らを「右翼日和見主義反党軍事グループ」

と認定し、弾圧

 

1960年鉄鋼生産量は1860万トンに達し、なんとか目標額を達成しかし、無理が祟り、原材料の不足や労働力の疲弊により61年に急激に下降

 

大躍進の帰結

生産量の減少

死亡者は3000万から4000万人

 

早稲田大学 政治経済学部 日本経済思想史 11/15㈭

「原日本」への憧憬

①「国」の「学」という意識

cf.国語・国史・国技・国体

②方法としての「古学」

古学派儒学と通底

③古典研究

古事記』『万葉集

④日本の心、道の研究

⑤文学論・宗教論≠政治・経済思想

国家主義国粋主義・拝外主義・神道思想との結合

 

普遍と個別

普遍

仏像・文明・資本・globalism

 

個別

国、地域・民族・文化・集団・nationalism/localism

 

本居宣長【1730-1801】

伊勢国松坂の商人

紀州徳川家の飛び地)

②生業としての医業

③『古事記伝

 

皇国(みくに)

①道

(1)普遍性

(2)日本にのみ伝来

②日本の特異的優越性

③皇国の基軸的価値

 

人知と情動

①人知の有限性

主知主義(ex.格物窮理論)批判

②情動への共鳴と表白cf.徂徠

③さかしらなる(小利口)漢意(からごころ)・仏意(ほとけごころ)の排撃

 

神意による人間界

①神々の意志

→現実世界の諸事情

②人為・人間世界の有限性・相対性・脆弱性

 

天壌無窮お神勅

①天照の神勅による日本

皇統の一系性・永遠性・優越性

②大政委任による徳川体制

③現状の全面的受容 cf.太宰春台・海保青陵

 

絶対化と相対化

①日本(国家)の基軸的価値化

②国家意識・尊王感情の鼓舞

③神意(天照)による天皇・皇統・皇国の絶対化

④朝幕関係の問題化

⑤徳川体制の受容:現状も神意

⑥現状の巧まざる相対化・流動化・柔構造化