早稲田大学 政治経済学部 現代アジア経済史 10/31㈬
日中戦争の勝利のために、中国はいかなる犠牲を払ったのだろうか?
中国軍民の死傷者数は3500万人
日本軍の進軍を止めるために黄河を決壊させたりした。
日本政府は、インドシナからの資源を内地に運ぶために大陸を占領した。(中国近くの海域は米英の支配下にあったので海洋ルートは使えなかった)→結局、大陸を占領したはいいものの中国側が鉄道を破壊したので日本は物資輸送ルートを確立することができなかった。
発展途中であった農業、軽工業の生産力は戦前の水準をはるかに下回る。
インフレ
軍事支出を賄うため貨幣の乱発
物資不足+貨幣の乱発⇒甚大なインフレ
戦時中、物価は平均16.3%ずつ上昇。
腐敗
国民政府内で職権を用いて物資を優先的に獲得し、それを投機することで利潤を獲得
民衆の支持減少
貧富格差の拡大
大量の食糧徴発は民衆の生活環境の悪化に拍車をかける。
多くの富裕層は地元幹部と通じることで負担を回避
貧しい者がますます窮乏化し、階層分化が進展
貧困層は富裕層に対して敵視を強める。=共産党の主張が浸透しやすい環境の醸成。
共産党の勢力拡大
日本占領地の背後の農村部に浸透し、「抗日根拠地」を築く。
脅威を感じた国民党は日本との戦争の傍ら、共産党に対する抑圧を強化。
共産党の東北進駐
毛沢東は、東北を重工業地帯の主要地域として重視
スターリンは、東北は共産党の支配下に置かれるのが良いと考えていた。
ソ連の構想は東西ドイツのような状況を中国においても作り上げること。
ソ連が共産党に撤兵のタイミングを事前に知らせることで、共産党が国民政府に先んじて諸都市を接収することが可能に。
共産党軍は、国民党軍との戦闘の結果、南部を失うも、北部(北満)にこんきょちを確立
国共内戦の展開
東北の共産党軍(東北野戦軍)は48年11月初までに東北の全土を獲得すると、同月末に精鋭80万を率いて南下
共産党軍は、49年3月に首都南京、4月に経済の中心地上海を占領
共産党は内地でゲリラ戦を行っていたため海軍持たず。よって台湾に攻め込めず、現在の中国と台湾の関係が固定化された。
なぜ有利だった国民党が共産党に負けたのか?
①戦後の混乱の中、施設が元は誰のものだったのか分からない。→政府がやむを得ず企業を国有化→民間企業からの反発→日本から接収した生産施設をうまく利用できなかった。
②性急すぎた貿易自由化
復興資金の形で国連から多額の資金が中国に流入
宋子文は貿易自由化政策を実施 欧米からの大量の商品が国内産業復興を阻害。
→巨額の貿易赤字
③旧日本占領地貨幣回収の失敗
国民政府は、旧日本占領地域の通貨(儲備銀券)を回収し、法幣に再統一
国民政府は儲備銀券を大幅に過小評価
結果、上海など沿海地域の旧日本占領区の通貨は暴落、インフレ助長
④政治的指示の喪失
経済政策の失敗により、生産と流通の復興が遅れ、物資が不足。ハイパーインフレーション
⇒国民党の戦時財政の困難+国民政府に対する政治的支持のさらなる減少。
東北地域の地政学的重要性
②北満は中国最大の穀倉地帯 食料をソ連に輸出し、代わりに軍用物資を獲得
③後背地がソ連、モンゴル、北朝鮮という共産党に近い諸国が支配する地域
共産党は後方を気にすることなく前線に部隊を集中させることが可能
食糧徴発の成否
共産党は富裕層を階級的と定め、階級闘争を仕掛け、彼らから暴力的に余剰食糧を調達。背景は貧富の差拡大と富裕層に対する敵対心。
⇒共産党は軍隊に対し、比較的安定的に食料を供給
⇒食料状況を一因として1947年以降、国民党軍兵士の逃亡寝返りが続出
⇒戦局は国民党側から共産党側へ次第に有利になっていく。